shizukana tori’s diary 

色々と続けたい

226 気にしない

昨日、自分の性格について

あれこれ不毛なことを書いた

のだが、最近の傷ついてしまう

ことの多くが、家族の一言。


特に、母親からの一言で

なんてことない一言でぐったりと

寝て起きて次の日になっても

モヤモヤとムカムカが同居する

ような気分になるのである。。


それは、コロナ以降やそれ以外も

理由はあるが、接する人間が

ほとんど家族だけ、という

ことに原因がある、と確信している。


本当に何気ない嫌味というのか

さりげない悪口というのか

こちらが激昂するまでには

至らない、不満だけが募って

言い返すまでもない程度の感じに

じわじわとあとからムカついてくる
 
感じなのである。。とはいえ、夕食時

などに言われた場合、こちらも

不愉快であると、伝える場合も

あり、そういう時は母も苦い感じ

になるというか、そんなつもりで

言ったわけではないというような

ことを言ってくるのだが

こちらは、そんなことは知らないし

とにかく、一言多いのである。。


そういうことを言わないで

くれたら、自分を省みるような

傷付きやすい自分を確認して

しまうような時間を作らなくて

良いのだが、一緒に生活している

うちは、きっとこれからもずっと

続くのだろう。そして、また

ことあるごとにブログに書いて

いくのだろう。。



しかし、自分もこれからもずっと

そんな些細な、母の一言に

傷付いていくのかと

自分自身にも呆れてしまったりも

するのだが、こればっかりは

難しい。性格の問題なので

性格が変わるともなかなか

思いづらい。。だからこそ

気にならなくなるよう

溜め込まないようにする。

気分転換を心掛ける。


そもそも、「何気ない一言」という

もの自体が存在しないのである。

言われた人が、傷付いている時点で

何気なくないだろう。。


私も、こんなことばかり気にして

本当に情けなくなるが、こうして
 
書いたりしないと本当に気持ちが

浄化されない。。


こんなことで、昔は苛立つ

こともなかったはずなのだが

この数年、大小関係なく自分

の気にしていることの周辺のことを

言われることに敏感になりすぎている。


「自分」という価値が高騰して

しまっている。以前はもっと

「自分」を自分でも適当に扱えて

いたから、母の一言くらい

そこまで、気にならなかった。


「自分」の価値を下げたい。


気楽に生きていきたい。


時に、失礼なことを言って

しまっても、許しあえる関係が

好ましい。短い人生である。

なるべく仲良くやっていきたい。







花粉に気をつけて、今日も一日。