shizukana tori’s diary 

色々と続けたい

510 考えごとの使い方

今日も朝からくよくよと

考え事をしていた。

もはや、日課である。

 

ただ、元気がない時の

ほうが、文章を書く

感覚はいい気がする。

だからといって、元気が

なくていいわけでは

ないし、元気でいたい

と思うのだが、まぁ

寒いから仕方ないのだろう。

 

こういう時は、朝目覚める

前の布団の中での考え事が

大体、悲観的だったり

自己否定的だったりする。

もう、これは確実にそうなる。

自然現象である。何か

意識的に作為的に考えよう

としているわけではなく

昔、人に言われて傷ついた

ことなどをくよくよと

考えていたりする。

それも、一つか二つの

自分の中でその時期の

マイブーム的な感じで

考える事が常に一緒なの

だから嫌になってくる。

 

今、考えてしまうのは

六年くらい前に、年上の

知人に言われたことで

とてもショックだったことを

毎日思い出している。

こういう時に思うのが

言われた時より、ショック

の気持ちが熟成されて

その時より、嫌な気持ちに

なってしまう、ということである。

食べものと一緒で

過去の嫌な記憶も

発酵、熟成されてしまい

大抵、より嫌な記憶に

なってしまう、というのが

私の印象だ。

たから、忘れたほうがいい

という助言も、あまり効かず

今日に至る、という感じだろうか。

寝かせたくなくとも、自然と

そうなってしまう。。

 

では、それとどう付き合って

いくか、というと未だに

答えは出ていない。何かに

夢中になっていたり、忘れて

いる時間はあるし、常に

考えているわけではないが

朝、夕など特に考えてしまう

感じだろうか。

なんか、こういう自然思考

のようなものが、別の形で

生かすことができないだろう

か、と考えている。

今の時代における「個性」

というものは

こういう傷や悩みにしか

ないような気もするので

まぁ、仲良くやって

いかなくては、とも思うが

やっぱり憂鬱だなぁとも

思うし、気分転換しながら

付き合っていくしかない

ということだろう。

でもこういう時に、やっぱり

「笑い」の感覚にたどり着く。

テレビも年々見なくなり

意識はどんどん真面目に

なっているが、ネットで

お笑いを見たりして

発想を変えるしかない。

ただ、そういう時に

見れるお笑いは

実際あまりなかったり

するが、意識だけでも

変えるというのか。

 

真面目さや真剣さという

ものは、今のスタンダード

なのだから、普通に生きて

しまうと、自然とそうなるし

そうすると、まいってくる

ので、笑いを求めるのも

それもまた普通なこと

なのかもしれない。

 

メルカリの準備もラジカセの

修理をしたら、だんだん

やる気がなくなってきて

しまっている。まずい。。

枯れそうなネギの追肥

どうにかやった。

だから、メルカリを

進めていくだけでいいのに

気が乗らない。。

 

午後の自分に期待せず

期待しよう。

 

 

 

 

気楽に、今日も一日。