shizukana tori’s diary 

色々と続けたい

565 やっぱり少しずつ

昨日は、避けてきたというか

あまり聴く気になれなかった 

お笑いのポッドキャスト

聴いていた。

だんだんと少しすつだが

聴けるようになってきた。

 

今朝、居間でかかっている

ラジオ番組はやっぱり嫌で

音を小さくしてしまった。

まだいちいち気にして

しまうが、これも少しずつ

である。

たかが音声とはいえ、言葉に

反応してしまうのは治らない。

なので、聴かないようにするか

感覚を鈍化させるしかない。

しかし、外へ向けていく

訓練としては、なるべく放って

おきたいのだが、今日はダメ

だった。

 

敏感さや繊細さ、というものは

この時代の標準的な感覚だと

思うが、それに素直に従い

すぎても息苦しい。

人が残念ながら持ってしまって

いる、負の感情の消化方法は

人によって違うが、私にとっては

やはり、お笑いにそれがある

のだと最近また感じている。

 

お笑いには、悲しみや絶望や

どうしようもない感情を無効化

し、フラットまではいかない

にしても最悪な状態まではいかない

ようにする浄化作用のような

ものがあると思っている。

だから、どんなに辛く苦しい

状態でも、お笑いの感覚さえ

思い出せたら、なんとかなる

はずだと思い込んでいる。

この3年はお笑いを避けて

きたところもあるが、実際に

人とコミュニケーションを

取るなら、笑いの感覚はやはり

必要で、逆を言えばそういう

笑いの感覚が一致しないまでも

近くない人とは、なかなか

仲良くなることもできないだろう。

 

笑いの感覚を少しずつ

思い出して、だけど焦らず

やっていこう。

 

 

 

気分転換しながら、今日も一日。