shizukana tori’s diary 

色々と続けたい

136 表現

図書館で本を借りた。


なんとなく本を借りる時に

気にすることがあって

初めて読む作家の作品は

なるべく出版が新しいものを読んで

そのあとに過去作品を

読んでいくという風にしている。



小説の中にも時代の空気を感じたい

と思う時が多いのだろう。

同年代の人の作家の作品を選ぶ時は

特にこの傾向がある。

最近の作品を読むと、その作家の

価値観や、重視していることが

いち早く知れるような気がして

私はそういう選び方をしているの

だと思う。


昨日、読み始めた本は、年齢的には

1つ年上の人の作品で、単行本として

出版されたのが4年前、文芸誌の

連載をまとめたもので、その連載の

初出は7年前であった。


2018年初版というところで

最近であると思って、借りてきた

のだが、コロナ渦をまたいだこと

によって、4年前という以前なら

最近のはずなのに、とても前の

感じがするのは、本当に不思議

である。。


自分の中の時代感のようなものが

あらためて、おかしくなって

しまっていると、こういう時に

とても自覚する。。


本を、読んで気になることが1つ

あった。連載時の7年前なら

そこまで気にならずに笑って

読めたというか、作家のセンスを

感じられたりする表現であるにも

関わらず、7年後の今読むと

皮肉がユーモアになりずらい

感覚に陥ってしまうのだなと

私の主観ではあるが

そう感じる部分があり

こういう感覚はなんなんだろう

とモヤモヤしてしまった。。


何においても、表現をするという

のは、本当に難しい。


特に、このスマホSNS社会において

何を表現しようとリスクが伴う。


人である以上

難しいことではあるが

やはり、表現というものに対して

寛容な気持ちも持っていないと

いけないなとあらためて思った。



ただ、繰り返してしまうが

受け止め方は人それぞれで

あるので、本当に難しい

問題である。。。











許す気持ちを忘れずに、今日も一日。